2026/09/11 10:32
ALPS BOOKSインタビュー企画「十山十色〜人それぞれの山もよう〜」。山に親しむ人の心身のコンディショニングをテーマにした書籍『ヨクキク山ヨガ』の出版に先立ち、山に関わり、その文化を支え続ける皆さまの貴重なお話をご紹介いたします。今回お話を伺うのは上高地西糸屋山荘社長、奥原宰さんです。

西糸屋山荘がある長野県の上高地は、言わずと知れた日本屈指の山岳景勝地。今回は、その上高地を長く見つめ続けてきた奥原社長に、これまでの歩みや上高地が抱える問題などについて教えていただきました。
うちは山宿だからね。ホテルじゃないから。
――お忙しい時期にありがとうございます。今日はよろしくお願いいたします。早速ですが、西糸屋山荘のホームページには「山宿とはどうあるべきか」という言葉があります。奥原さんにとって、西糸屋山荘はどういう場所なのでしょうか。
うちは山宿だからね。ホテルじゃないから。だから多少の不便はあるかもしれないけど、山ってそういうものだからね。今は登山基地といったら横尾あたりみたいになっているけど、昔は上高地が登山基地だったわけだから。最近は観光で上高地に来る人も多いし、上高地の使われ方も変わってきたけど、うちは山宿なんだよね。
――西糸屋山荘は、その上高地が主要な登山基地だった時代から続いているわけですね。
そうそう。大正の終わり頃に売店をはじめて、昭和3年に旅館になりました。上高地温泉さんとかに比べると全然新しいけどね。あそこはもう130年くらい、元々は上口湯屋っていって江戸時代からやってたそうです。昔からあそこは街道で、ウェストンも泊まっているところだしね。そこらへんと比べると、うちはまだ100年くらいだから。
――「まだ100年くらい」と言っても、相当な時間だと思います。今年は約10年ぶりに「上高地ビジョン」が更新されたということもあって、上高地の現在やこれからの課題などを、上高地を長く見つめてきた奥原社長にお伺いできたらと思っています。※上高地ビジョン:上高地の自然環境保全や利用のあり方についての指針。

西糸屋山荘三代目として生まれて
――そもそもですが、西糸屋にはいつからお勤めなんですか?
入社したのは大学卒業して数年後です。で、私の場合は、もう子供の頃から三代目って言われて育ってたから、そうなっちゃった。弟もいたけど、弟は高校を出てすぐプロスキーヤーの道に行っちゃったから、逃げられなくなったんだよね(笑)。
――子どもの頃から、西糸屋を継ぐ人として見られていたんですね。人生で最初の山登りは覚えていますか。
山登りって言えるかどうかわかんないけど、3歳のときに、明治の山岳部の人たちが岳沢に行くのについて行っちゃったのが最初かな。あんまり覚えてないけど、きっと楽しかったんだろうね。それからは、親父に連れて行かれてスキー登山なんかをよくやってたよ。高校は山岳部。立教高校。でも、中学はバスケット部だったな。高校でバスケット部の門を叩いたら、みんな身長180センチ以上だったんで諦めて、山岳部に入りました。数学の先生が山岳部の顧問をやっていたんだけどすごい先生だったんだよ。一ノ倉沢とかも連れていってもらったよ。
――鍛えてもらったんですね。
そうそう。岩登りはいつも俺を先に行かせてくれてさ。富士山を冬も含めて500回以上登ってるような人でした。
思い出の山行
――これまでで特に覚えている山はありますか。
学生時代の最後に、槍ヶ岳から立山まで、三月に二人でスキーで縦走したのはよく覚えてるな。登る時はスキーで登って、下る時は滑る。痩せ尾根なんかは担ぐけどね。吹雪とかあったから十日くらいかかったかな。
――今とは装備や通信環境も全く違いますよね。当時、同じルートを行っていた人はいましたか?
プロのガイドの人が一組行ってたらしいけど、他には知らない。いないんじゃないかな。俺はそれをやりたくて大学の山岳部に入ったようなものだから。

◼︎写真:奥又白C沢へ
あとは、モンブランのイタリア側の壁を登ったこともあるね。氷と岩のミックスなんだけど、セラックが上にあるんで、日が当たるとそれが落ちてくるから夜中に登らなきゃいけないんだよね。取り付きが12時くらい。1時くらいか。夜中に登るんだよ、月明かりの中で。7時間か、いや、10時間かかったかな。登り切った時は爽快だったな。

◼︎写真:アイスクライミング中の一コマ
――ヒマラヤで遭難されたこともあると伺いました。
うん。1980年に、当時入山が可能になったブリグパントっていう山へ遠征に行ったんだけど、雪崩で一人死んじゃってさ。ガンゴトリっていうヒンドゥー教でもすごく有名なところから行ったんだよ。一橋大学に留学していたアメリカ人がメンバーだったんだけど、その仲間がテントごと流されちゃって。インドの人たちに色々疑われて大変だった。氷河の中だったから遺体を下ろせなかったんだよね。その説明をご両親にするのも本当に大変だった。遺体はまだ氷河の中にあると思うよ。
あとは、フランスのシャモニーなんかでも登っていました。

◼︎写真:シャモニー周辺にて
昔の半分だと思って登っている
――本当に色々な経験を経てきていらっしゃいますが、奥原社長は、今おいくつになられましたか。
ちょうど70になりました。今でも山に行くけど、やっぱり体力は落ちてるね。昔の半分くらいだと思って登ってるよ。二倍時間がかかる。そりゃそうだよ。
――70歳まで登っていること自体が、すごいと思います。
うちに来るお客さんなんかは、70、80、当たり前の人がいっぱいいるからね。びっくりするよ。80代で槍穂高縦走してる人もいるしね。ただ、逆に山どころか、街の中を歩くのもかなり大変そうな人たちも来ちゃう。それが問題。
――私が今制作している『ヨクキク山ヨガ』も、山を長く楽しむための体づくりをテーマにしています。主に40代から70代くらいの方へ向けて、体の調子を維持して、山登りをいつまでも楽しんでもらいたいという思いがあります。奥原社長は、登山者が長く安全に山を楽しむために、何が大切だと思いますか。
まずは普段の生活の中で、体をどれだけ動かせるかどうかだと思うよ。年取るとだんだん体が硬くなるし。有酸素運動も必要だから、ただ歩くだけじゃなくて、階段とかそれなりに負荷をかけて歩く。街でまともに歩けない人は山に来ちゃだめだと思うよ。はっきり言うと。
――厳しいお言葉だと思いますが、山で多くの人を見てきたからこその言葉ですよね。
そう。ストレッチとかもやっぱり大切だと思うよ。俺が山のガイドをやるときは、登山の前にやっぱりストレッチをやってもらうもんね。ラジオ体操第一とか第二とか、アキレス腱をのばして、首を回して、手首を回すくらいだけど。
――歌手の森山良子さんをガイドしたこともあると伺いました。
そうだね。これまでに色々な人をガイドしたけど、お客さんの体力とか技術は実際来るまではちゃんとわからないから大変です。みんな日頃から運動が習慣になってるといいんだけど。
登山者の変化と、現場の危機感
――遭難事故件数の増加などは全国的にも問題になっていると思いますが、特に、上高地では今はどんな課題や問題がありますか。
最近は以前よりさらに色々な問題が起きるようになってきてるよ。山に行って足がつったからヘリ呼んでくれとか、疲れたからヘリ呼んでくれとか、そういう話がいくらでもある。山小屋のベッドから落ちて骨折したとかさ。だから、普段のことがちゃんとできなければ山に来ちゃだめ。昔の遭難と今の遭難だと内容が少し違うんだよ。逆に言うと生存率は高い。
外国の人なんかは残雪期を夏山と同じだと思って来ちゃって、運動靴で登ろうとしたりもする。アイゼンも持たないで行って、登りはいいけど下れなくなってしまったりね。最近は北アルプストレイルプログラムの一環で、横尾で登山ゲートを設置してガイドが装備とかのチェックをしてるけど、雨具を持ってない人とかいるし。
やっぱりいろんな国の人が登るようになってきたから、特に雪のないところから来た人たちには気をつけてもらいたいです。
ニホンジカ対策が最重要課題
――様々な問題に関係者の皆様は苦慮されていると思いますが、上高地ビジョンでは、自然環境の保護と適正利用の両立がテーマとなっています。社長はそれについてどんなお考えをお持ちですか。
上高地エリアでゾーンを分けて、観光ゾーンと、ちょっとだけ登山ゾーンと、本当の登山ゾーンっていうのをちゃんと分けてやっていこうということになっているから。それが周知されて理解してもらえたらいいんじゃないかな。
――まずは周知することが大切ですね。では、上高地にとって、今一番対応しなければいけない問題は何でしょう。
上高地としては、登山客よりむしろ野生動物だね。特にシカ。本来いないはずのニホンジカがいっぱい入ってきちゃってるんだよ。南アルプスとか、美ヶ原と一緒で。このままだと何年か後には、上高地からニリンソウはなくなるよ。ニリンソウだけじゃなくて、いろいろみんな食べちゃうから。そうなったら観光資源がなくなるからね。上高地ビジョンどころの話じゃない。俺の知る限り、10年くらい前にはいたんだけどね。それがだんだん増えてきた。今は20数頭いることはわかってるけど、どんどん増えてる。これからの一番大きい問題はシカだろうね。10年後に上高地の植物はなくなるかもしれない。

――クマについてはどう見ていますか。
クマはいるって。上高地だとそこらじゅうにいます。だって、彼らは住んでるんだからしょうがないよ。昔から。出てくるか出てこないかだけで、人が見るか見ないかだけの違い。何もしなければ基本的には襲ってこない。そりゃあ脅かしたりすれば怒るけどさ。
人を大切に
――野生動物の問題は一筋縄ではいかなそうですね。上高地の自然がこれからも守られていくように、私もできることを探していこうと思います。最後に、西糸屋山荘はこれからどうありたいと考えていますか。
ちょっと俺の時代は終わっちゃうんでわかんないけど、人は大切にしていきたいとは思っています。次の世代がどう考えてるかは、よくわからない。でも、あと2、3年は頑張らないといけないかな。
――その後は。
そうだな。そろそろ自分の山登りがしたいよ(笑)。
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登山者を迎え、送り出し、時には止める。
山へ入る人の変化を見つめ、自然環境の変化も見つめ続ける。
奥原さんが語った「山宿」という言葉には、上高地を支えてきた現場の重みを感じます。
自分が訪れる山が、誰かの仕事に支えられている。それをあらためて考えさせられる貴重な時間となりました。お盆前のお忙しい中、インタビューを受けていただきありがとうございました。
西糸屋は風情がある素敵な山宿です。併設する喫茶・売店「グリーンポット」のアップルパイや、ランチのカツカレー大盛り(ギガ盛り!)も大人気。上高地を訪れたらぜひ足を運んでみてください。
山に関わる人たちからお話を伺う本企画。次回は登山家、渡邊直子さんです。お楽しみに!

話してくれた人 奥原宰(おくはら・つかさ)
上高地・西糸屋山荘社長。西糸屋山荘の三代目として、上高地で山宿を営む。国内外の山を歩き、信州登山案内人としても活動。信州まつもと山岳ガイド協会やまたみの副代表理事を長く務める。山宿の現場から長年にわたり上高地と登山者を見つめ続けている。
話を聞いた人 鳥井ナオキ(とりい・なおき)
日本アルプスを望む信州で、心と体によりそう本を作る出版レーベル「ALPS BOOKS」代表。松本市で日本アルプスヨガセンターを主宰し、ヨガの普及に努める。アシュタンガヨガ正式指導者。ヨガの実践・指導を10年以上続けている。訳書にアシュタンガヨガの教本『AṢṬĀṄGA YOGA ANUṢṬHĀNA』、同流派最高指導者R. Sharath Jois氏による自伝的健康マニュアル『AGELESS』(共にR. Sharath Jois著)がある。

ALPS BOOKSが制作しているヨガの実用書『ヨクキク山ヨガ』は、山に親しむ人がこれからも末永く山を楽しむために、体と呼吸を整える一冊です。
山へ向けた日々の準備の一環に
山から帰ったあとのケアに
次の山へ向かう力を育むのは
無理なく続けられる小さな習慣の積み重ね
そんなテーマを掲げて本を制作しています。
