2026/08/26 14:54

ALPS BOOKSインタビュー企画「十山十色〜人それぞれの山もよう〜」。山に親しむ人の心身のコンディショニングをテーマにした書籍『ヨクキク山ヨガ』の出版に先立ち、山に関わり、その文化を支え続ける皆さまの貴重なお話をご紹介いたします。今回お話を伺うのは長野県山岳総合センタースタッフの京屋仁さんです。

「城塞ハングを越えるときに、ぶら下がった瞬間はアドレナリンが出ました。これはちょっとやばいなと」
自身のフリーソロクライミングの経験を淡々と語る京屋さんの口調に、武勇伝を誇示する様子は微塵も感じられません。国際山岳ガイド資格取得を目指して10代で単身渡仏し、リスクの高いクライミングに挑戦し続けていた生粋のクライマーの京屋さん。けれど今、その姿はかなり違って見えます。

長野県山岳総合センターのスタッフとして安全登山を啓発し、二人のお子さんを育てながら、クライミングを続ける。自分だけが登るのではなく、妻もクライミングを続けられるように家事や育児を分担し、家族として山や岩と関わっていく。危うさの中に身を置いていたクライマーは、父になってどう変わっていったのか。今回はそんな京屋さんに、これまでの歩みを伺いました。

北岳バットレスをフリーソロで登る

――早速ですが、京屋さんはすごく落ち着いた人柄のイメージがありますが昔はかなり攻めたクライミングをしていたと聞きました。

そうですね。今の立場ではあまり口にしづらいですが、結婚する前は、リスクの高いクライミングが大好きでした。マルチピッチのルートをフリーソロで登ったこともあります。有名なところだと北岳バットレスなんかです。

――こうして生きてお会いすることができて光栄です。馬鹿な質問かもしれませんが、フリーソロで登ることは怖くないんですか?
怖いです。怖いんですけど、やってしまうんですよね。北岳バットレスを登り切った瞬間は最高でした。フランスでもミディ針峰などでフリーソロで登っていましたし、なんというかやっぱり冒険的なものが好きだったんですね。あまり準備などもしないで一人で向かって、そこでたまたま出会う景色を楽しむような。山スキーとかも、アルパインルートをスキーを背負ってフリーソロで登って、滑って降りてくるようなスタイルが好きでした。山岳総合センターの方針とは真逆ですよね。

――センター職員になる前のこと、ということで。
はい。ただ、リスクの高いことをしていた自覚はありますが、自分の中では「これ以上行ったら本当にやばい」という線引きはありました。引き返せるところでやめたルートもたくさんあります。フリーソロではほとんど引き返せませんが……そういう自分の野生の勘みたいなものは信じていました。

――今は、フリーソロはしていないんですよね。
一切していないです。今では考えられないですね。

――何が変わったんですか。
やっぱり家族ができたことが大きいです。子どもができてからはやっていません。結婚する前に、グレードにRやXがついているような、落ちれば大怪我や命に関わる可能性のあるルートに挑戦しようとしたんです。でも妻に「それをやるなら結婚しない」と言われて、やめました。妻もクライミングをやっているので、その危険性がわかるんです。今はそのことに、本当に感謝をしています。

今思うと死んでいてもおかしくないようなチャレンジばかりしていましたし、親にも申し訳なかったなと思っています。今となっては、やるべきではないと思っています。本人だけの問題ではないし、事故になればいろいろな人に迷惑がかかりますから。

父に連れられて、保育園の頃から山へ

――時間を戻して、京屋さんが山に出会った頃のことを聞かせてください。出身は長野ですか。
はい。長野県の安曇野市です。山に登り始めたのは、保育園ぐらいだと思います。父が山をすごく好きで、祖父も山が好きだったんです。なので、小さい頃から父に連れられて山に行っていました。北アルプスで最初に登ったのは、たぶん常念岳です。保育園の年長くらいだったと思います。その前にも、光城山みたいな里山にはたくさん行っていたと思います。ただ、その頃は別に山が好きだったわけではないんです。連れて行かれていた、という感じですね。

――そこから、どうして今みたいに山に深く関わるようになったんですか。
小中学校ではサッカーをやっていました。中学の後半くらいで進路を考えたときに、サッカーを続けるか、別のことをするかを考えたんです。それで、大町高校を選んで山岳部に入りました。大町高校は山岳部が有名だったので。

大町高校山岳部で味わった、山の面白さ

――大町高校山岳部で、特に印象に残っている山行はありますか。
高校2年生のときに、裏銀座を縦走したことです。それまでは日帰りでピストンするような山行が多かったんですけど、裏銀座は遠い目標に向かって、何日もかけて歩いていくじゃないですか。ずっと槍ヶ岳が見えていて、それがだんだん近づいていって、最後に本当に槍に登る。その感覚がすごく新しかったんです。下山まで入れると、5泊か6泊くらい。全部テント泊で大変でしたけど、最後に涸沢で先生がそうめんを作ってくれたんです。それがめちゃくちゃおいしかったんですよね。雪が残っていたので、ゼリーを冷やしたりもしました。他のご飯はあまり覚えていないんですけど、そうめんだけは覚えています。

――疲れた身体に、冷たいそうめん。最高ですね。
本当においしかったです。山岳部の山行の中では、すごく思い出に残っています。

高校卒業後、国際山岳ガイドを目指してフランスへ

――高校卒業後は、どうされたんですか。
将来どうしようかなと考えたときに、やっぱり山に携わっていたいと思いました。それで山岳ガイドを目指そうと思ったんです。山岳ガイドを目指すなら、世界中でガイドできる資格がいいなと思いました。でも日本で国際山岳ガイドの資格を取るには、ものすごく時間とお金がかかる。それは現実的ではないなと思って、フランスに行ってみようと思いました。フランスでは山岳ガイドの資格が国家資格なんです。しかも、学校に入れれば国の機関なので授業料も寮費もかからないんです。これは取りたい、と思って高校を卒業してすぐ、18歳か19歳くらいでフランスへ行きました。

――フランス語は話せたんですか。
フランス語どころか、英語もそんなに話せない状態で行ったので大変でしたね。シャモニーという町に住んで、日本食レストランで働きながら、休みの日にクライミングに行っていました。ガイド学校の入学試験を受けるためには、指定されたルートを登った経歴が必要なんです。ヨーロッパアルプスのルートがリストになっていて、それを登らないと試験を受ける資格が得られない。だから、現地のクライミングジムでフランス人のパートナーを見つけて、一緒に登りながらリストを埋めようとしていました。2年くらいやっていたんですが、でも結局、試験を受けるところまではいけませんでした。ルート自体も簡単に行けるものではないですし、雪やコンディションも関係します。ワンシーズンで1、2本しか登れないこともある。だから、そのリストを埋めるのは本当に難しかったです。

それに、滞在するためのビザも難しくて。最初は学生ビザ、その後はワーキングホリデーで滞在しました。でもフランスのワーホリは1年だけなので、その後どうするかが難しかった。就労ビザを取って働いてしまうと山に登れない。大学に行くにもお金がかかるし、山にも行けなくなる。これはもう、続けるのは難しいなと思って日本に戻りました。

モンブランで感じた、ヨーロッパの山に来た実感

――フランスの山で、特に印象に残っているものはありますか。
モンブランに登ったときですね。モンブランにはいくつかルートがあるんですけど、僕は下から登るルートで行きました。山小屋に泊まるお金もあまりなかったので、日帰りで行こうと思って。登山鉄道も動いていない時間から歩き始めました。真っ暗な中を歩いて、だんだんシャモニーの谷が明るくなっていくのを見ながら登っていきました。4000メートルの山は初めてだったので、しんどかったです。一歩一歩が重くて、これが高山か、と思いました。でも、早い時間だったので、山頂にはほとんど人がいなくて、天気もよくて、ヨーロッパアルプスが一望できて。ヨーロッパに来たな、という実感がありました。難しい登山だったというより、すごく気持ちのいい登山でした。フランス時代の中でも、一番印象に残っています。

子どもが生まれるタイミングで、山岳総合センターへ

――今は長野県山岳総合センターで働いていますが、そこに入ったのも、家族ができたことがきっかけだったんですか。
そうですね。結婚して、子どもができたことが大きかったです。その前は松本のクライミングジムで働いていました。クライミングをメインにやったり、ルートセットをしたりしていました。クライミングジムの仕事はとても楽しかったですが、ただ、夜が遅いんです。このままでは子どもを育てる環境としては難しいと思いました。でも、山やクライミングに携わる仕事は続けたい。そう考えていたときに、山岳総合センターの赤梅さんに声をかけてもらいました。

――それで山岳総合センターに。
はい。子どもが生まれるのと同じくらいのタイミングで、センターに入りました。今は7年目です。

今も選手として、若い世代と登り続ける

――京屋さんは、今も大会にも出ているんですよね。
はい。国民スポーツ大会の県代表として出ています。県大会があって、北信越のブロック大会があって、そこを通ると本大会に出られます。参加資格に年齢制限はないのですが、今は若年化しているので、30代はけっこう上の方になってきます。でも出られるうちは出たいですね。下の世代にプレッシャーをかけ続けたいです。そのためにも、日々のトレーニングは大事にしています。

山ヨガは、ただ整えるだけではなく、鍛える要素もある

――京屋さんには、山ヨガも何度か体験してもらっています。率直にどうでしたか。
ヨガをあまりやったことがなかったので、ヨガってきついというより、身体が整うようなイメージがありました。でも、鳥井さんのヨガをやって、けっこうきついと思いました。こういうのもヨガなのかと、印象が変わりましたね。筋トレに近い要素も入っていると思うので。

――ただ整えるだけではなくて、登山やクライミングに必要な力もつけられるように考えています。
それは伝わりました。筋トレを継続させるのって、なかなか難しいじゃないですか。これを継続できたら、ワンランク上に行けるのかなと思いました。登っているだけでは鍛えられない部分に効く、というか。クライミングは、やっていれば登る力はある程度ついていきます。でも、登るだけではつかない筋力や、柔軟性もあると思います。それを補うものとして、ヨガはいいと思いました。

特に、得意なタイプの課題ばかりやってしまう人にはいいかもしれません。それでもグレードは上がっていきますが、でも、苦手な部分や弱いところにちゃんと向き合うことこそ大事だと思っていて、それができる人はそんなに多くない気がします。筋トレもそうですけど、苦手なことを繰り返して積み上げるのは難しい。だから、ヨクキク山ヨガみたいに、苦手なポーズも自然にやる流れになるのはいいと思います。

そして、パパクライマーへ

――危険をかえりみないクライマーだった京屋さんが、こうして優しげなパパクライマーに変わっていったことはすごく印象的です。全国のパパクライマーに向けて、メッセージをいただけますか?
家族ができてクライミングをやめてしまう人は多いです。でも、本当はやりたいのにやめてしまうのだとしたら、それはもったいないと思っています。うちは妻もクライマーなので、それが前提にはなりますが、家族がいてもクライミングは続けられます。そのために一番大事なのは、パートナーにもクライミングを続けてもらうことだと思っています。奥さんにはあまり言わないですけど、僕はそこはかなり気を使いました。

――具体的には、どういうところですか。
産後はどうしても妻がクライミングに行けないので、自分も行かないようにしました。妻がクライミングに復帰してからは、できるだけ妻が行きやすい環境をつくるようにしました。妻が夜にクライミングジムへ行くなら、僕が子どもの相手をしたり、ご飯を作ったりして、気持ちよく出かけられるようにしていました。

――奥さんを優先するんですね。
いや、本当は自分ももっと登りたいですよ。でも、妻がクライミングを続けられる環境をつくることが、自分がクライミングを続けることにもつながると思っています。夫婦でクライミングを続けるためには、そこが大事なんです。クライミングって、時間が空くと、前に登れていたものが登れなくなってモチベーションが下がるんです。続けるには、コンスタントに通わないといけない。だから妻が気兼ねなく行ける時間をつくることは大事だと思います。

僕が一番伝えたいのは、子どもがいながらどうクライミングを続けるか、というところです。家庭とクライミングのバランスって、みんな悩むと思うんです。それでやめていく人もたくさんいますし、逆に家庭をかえりみずに続けてしまう人もいる。だから、クライミングを続けたいなら、家族に納得してもらえる形をちゃんと考えた方がいいと思います。クライミングって、やればやるほどやめられなくなるところがあります。だからこそ、もっと健全な形で続けていけるようにしたいです。うちは、今でも時間を合わせて妻と二人で登りに行きますし、家族全員で岩場へ行ったりもしています。

――理想的なクライマー一家ですね。
はい。でもそれは、理想の妻に出会えたことが何より大きかった。本当にそう感じています。

ライフステージが変われば山との向き合い方は変わります。それは、決して情熱が薄れたということではなく、その時の自分にあった山との関係性を選び直しているのだと思います。そしてきっとそれこそが、山をいつまでも楽しみ続けるための秘訣なのだと感じます。京屋さんのお話を伺って、私も山との関わり方を改めて考えているところです。これからどんな風に山を楽しむか。とてもワクワクしています。貴重なお話をシェアしていただきありがとうございました!

十山十色、次回は今度こそ。上高地西糸屋山荘の奥原社長です。お楽しみに!

話してくれた人 京屋仁(きょうや・じん)
長野県安曇野市出身。長野県山岳総合センタースタッフ。大町高校山岳部で登山とクライミングに出会い、高校卒業後は国際山岳ガイドを目指してフランスへ。帰国後はアウトドアショップ、クライミングジム勤務を経て、長野県山岳総合センター職員となる。現在は二児の父として家庭とクライミングを両立しながら、国民スポーツ大会の県代表選手としても活動する。

話を聞いた人 鳥井ナオキ(とりい・なおき)
日本アルプスを望む信州辰野で、心と体によりそう本を作る出版レーベル「ALPS BOOKS」代表。松本市で日本アルプスヨガセンターを主宰し、ヨガの普及に努める。アシュタンガヨガ正式指導者。ヨガの実践・指導を10年以上続けている。訳書にアシュタンガヨガの教本『AṢṬĀṄGA YOGA ANUṢṬHĀNA』、同流派最高指導者R. Sharath Jois氏による自伝的健康マニュアル『AGELESS』(共にR. Sharath Jois著)がある。

ALPS BOOKSが制作しているヨガの実用書『ヨクキク山ヨガ』は、山に親しむ人がこれからも末永く山を楽しむために、体と呼吸を整える一冊です。

山へ向けた日々の準備の一環に
山から帰ったあとのケアに

次の山へ向かう力を育むのは
無理なく続けられる小さな習慣の積み重ね

そんなテーマを掲げて本を制作しています。

現在、この本のクラウドファンディングを実施しています。

クラウドファンディングでは、書籍の先行予約に加えて、オンライン山ヨガクラスなどのリターンも予定しています。クラウドファンディングは8月30日まで。


応援よろしくお願いいたします!